文脈位相の日乗

如何様にも流れてゆく日々を貼り付けて標本にしようと思ったのに。

ある種の自己紹介と目標設定

とりあえずブログの方針というか方向性くらいは固めておくべきかなと思って。

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そもそもブログは他所でも細々と続けているものが一つ二つあって、そのうえで何故あたらしくブログを作ろうと思ったのか、ということ。

私はインターネット上で自分が何者かを語らねばらない場所(ex,ツイッターのbio)では、オタク、と無条件に書くようにしていた。アニメだとかゲームについてぐだぐだと書き散らすことはままあり、リアルでもそうした二次元的な話題を少なからず日常会話に挙げていた。周囲に二次元好きが少なかったからなのか、そんな私は往々にして「あ、こいつオタクじゃん」とラベリングされてきた。ような気がする。

別にそれをどうと思ってきたわけではないが(オタク叩き文化の薄い非オタ社会に生きていました)、そのラベルに別段違和感を感じてこなかったので、ああ、俺はオタクなんだな、と自分でも自分にオタクのラベルを付けてリアル社会インターネット社会を流されてきました。

ただ最近は「私はそれほどオタクでもないな」だってオタクと呼ばれるほど一つの事物に対して鋭角なパラメータが振られていないし自分自身鋭角に向かっていく気があんまりなくなってきたな、という理由から「自分にオタクの商品タグを張るのは詐欺だな」と考えています。

では私はいったい何を持っていてどんな自己紹介をしたら偽りないのか、というと、多分『一般人』くらいのものだと思う。 なんとなく自分を適当に振舞うことで狭い学校コミュニティを生きて、そこから大幅にまた早々にドロップアウトして、文学の持つ(と感じた)「生き辛さの表現」に共感し、微妙にあった基礎パラメータの尖りが面白いという評価を受けて何となく大学まで上がってしまった、一般人。
素のパラメータだけはレアジョブなので能力値はそこそこ尖っている。人生序盤の現在まではその使いづらさが一部にウケたのでここまで生きてこれてしまった、低レベルのキャラクター。
地道に育成されてきたノーマルジョブに、クリティカルと不意打ちで時間を稼ぎ戦線離脱することでしか生き残れない育成間違えちゃったキャラ。

そんな感じの大学生です。

ようやく「ちょっとレベル上げないと駄目なやつだな」と気が付いたのでレベル上げのためにブログを開設したはいいけれど、冒頭。具体的にどう能力値を上げスキルを伸ばすか、考えてなかった。

たぶん、自分はこれまで語ってきたオタクのジョブではない。レベル上げはしてなかったけど、スキルの振り方が微妙にオタクから外れている。「好きだから何かをする」という感情はなくて、(きっと精神的な意味で、自己評価として)生き残るための数値伸ばしをするために色々な作品に向かおうとしている。

好きだから、が原動力にない以上、オタクを自称するのは(楽しんでオタ活している友人に対して)憚られる。オタクは楽しくてやるもの、と思うし、よく言われている気がする。

(ここで思うのが、今向かっている、いわゆる推しの作品やキャラクターに「好き」の感情は本当にないのか?ということ。いや多分ある。根底はそこにあるはずなんだろうけれど、考え方の面倒くささが先に立ってしまって「好き」を塗りつぶしてしまっている。
考え方の面倒くささというのは、具体的には「俺は俺の置かれた場所から、お前の生き方に同意/否定しなければならない」みたいなものだと思う。常に何かを思い悩まなければだめ、みたいな縛りが出来ている。
お前の世界の見え方は少数派だ、故にその見え方で世界を記述しなければならない、と呪を掛けられ続けた結果こうなった。し、思想家にでもなるのか?)

ここでいう思想家、というのは、何かしらの事物に対して過去の思想をもとに論拠を練り壊れた蓄音機的に歌い続けるエンタメ、くらいのニュアンス。私はデカルトカントマルクスショーペンハウアーetcのような本気で考え続けそれで飯を食っていくだけの頭脳はない。ネットもしくはリアルの局地において若干「こいつの言うことを同意はともかく見ておこうか」くらいに思われる暇つぶし的存在を誇張して思想家、と言っています。誇張しています。







(呪を掛けてくれた人は、きっと私が「思想家に隣接するなにがしかの存在になったらおもしろいな」くらいのことは考えていたと思う。でも呪を掛けた自覚はないだろうし、単純に私が深読みしすぎて捉えていたのだと思う。だから、その人たちを特別に悪しく/好ましく感じてはいない)

私がオタクでないとして、残るものは何だろうか。メンタルヘルスの悪い人、だろうか。恒常的にメンタルの具合は悪いし(躁的な状態でない限り)、ここは残してもよい気がする。
あとは「親和性はあるけれど、特筆するほど尖ってない能力」くらいの好物がちらほら、あるかなと。

それはともかく、華の大学生がメンタルヘルス悪い状態で、それをあえて形に残しまくっていく、というのはエンタメとして悪くないのではないか。小学生のころによくやった、小石を蹴って家路に帰るアレ。あの遊びで石が削れていく様を面白いなと思うくらいには、何か暇つぶしになったりしないものか。
そのついでに、のちに自分の後輩になるくらいの人、その中でちょっと疲れ気味の人がスマホで『大学生 メンヘラ』とかググったとき「こんなんもいたんだな、まあそんなもんだよな」とかちょっとの仲間意識を覚えてくれたり、しないかな、と。

そういう、自分の人生が少しは暇つぶしのエンタメ素材にならないかな、という感情がこのブログの趣旨になる。なった。おそらくまたすぐに変わる。

そういう精神的な部分を除けば、なるべくたくさん書くことで自分なりの文体を得られないかな、という魂胆もあるのだけれど、どうだろう。
ユーキちゃんは比喩がいいよね、と雑談中に言ってくれた友人に、もうちょっとレベルアップした比喩をお届けできるかしらん。 少なくとも書いていなかった時期に衰えた部分を視覚化することはできているので、表現力向上の面で「可」くらいスタンプ押してもいいだろうか。不可、だとちょっと悲しい。

今年の目標としては、詩歌を作れるようになること、小説が書けるようになること。この二つが目標。
言葉は人を殺す。けど人を生かしもする。私なりに誰かに届けられるものを、獲得したいのだろう。

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勢いで書いてるのにロクな推敲をしないのはよろしくないなと反省。次から頑張ろう…まだ見てる人はほぼいないから…。