文脈位相の日乗

如何様にも流れてゆく日々を貼り付けて標本にしようと思ったのに。

過程を仮定して行動しよう

忙しい。あるいは、気忙しい。

つい、保身のため嘘をついてしまう。自分の利益しか見ずに、理想を追いやってしまう。形而上の目標だけで人は生きていかれないにしても、大切なものくらいは持っていたい。どうせ懐からは、色々なものが勝手に抜けてゆくのだから。
ろくでなしではあっても、ひとでなしにはならないよう気をつけたい。

できるかぎり、正直でいよう。精一杯には、私なりの精一杯を返そう。不義には、それなりに憤ろう。怒るときは、見苦しくないよう静かにしよう。
格好良く生きていたいものだな、と思う。抜け目ないとかそういうのではなく、なにか一本通ったような、そんな生き方をしたいものだ。どうせ生きづらい神経に生まれたのならば、貫き通してやってしまいたい。

久々に楽しい読書をしたので、神経がシャンとしたように感じられる。勉強ならざる読書、さながら砂漠で飲む水の如し。
苦しいことも過ちも、しっかり受け止めよう、と座る腹。生きるも八卦、死ぬるも八卦。必死に生きてこそ、活きる言葉があるだろう。

このまま、余計なものは、捨ててしまいたいのだけれど。そうなると、修道女のような生き方をしなければならないような。いや、昨年の今頃は、まさしくそんなところだったのだけれど。
娯楽も息抜きもなかったが、何かを極め追い求めようという楽しさだけはあったかなと思い返される。

決して、神経が安定しているわけではない。黙っていると、吐き気、熱、発汗、胃痛。具合の悪さ、山盛りである。
ただ、一人、ほんとうに心地よい雰囲気の知人があって、その人と時間を過ごしたこと。楽しい読書をして、作者から心地よい時間をもらったこと。その2つのおかげで、平然と構えていられる。
人とのよいつながりは、正直、精神安定剤より強い。デンマークのヒュッゲという言葉の意味が、少し感じられる。

明日、清水の舞台から飛び降りる。もしくは華厳の滝か。
もしこの記事を見た人があれば、明日の昼、ほんの少しで良いから私の抱える事情がうまく導かれるよう祈ってほしいな、と思う。
何がどうなればうまいのか、本人もわかっていない。神頼み、仏頼み、人頼み。 ただ、人の祈り(もしくは確かな意志と言うべきか)というのは、結構強いものだと知っている。
こと、誰かのための思いは、特に。